
被災地に家を遺すことは、子や孫の命を奪うこと。
わたしはそう考えています。
一度でも津波がきてしまったところは、残念ながら安全ではありません。
次の津波でも被災地となることが歴史によって「証明」されているからです。
自然の脅威は、「100年」という単位で繰り返されます。
かつての悲劇が忘れ去られたころに、津波が必ずまたやってきます。
受け継いだ土地を守るという美徳が、次世代にとっては逃げ遅れの「足かせ」にかわってしまう。
およそ100年周期の悲劇を、わたしたちの代で断ち切らなければなりません。
以前、わたしが住んでいた地域は沿岸部でした。
自然豊かで磯の香りがする、青と緑に囲まれた大好きな故郷でした。
しかし東日本大震災で景色は一変し、多くの命を奪われました。
建物が倒壊し、見る影もなくなった町で、内陸移住を決めたのは
「津波に家族の命を奪われたくない」
「孫ができたとき同じ思いを体験させたくない」
と心の底から思ったからです。
自分の思い出や、思い入れよりも孫の命。
いまのわたしが唯一、次世代につなげられることだと確信しました。
津波から次の世代の命を救い出せるのは
いまを生き延びた、わたしたちにしかできないことです。
負の連鎖を止めるための、わたしの「生存戦略」をお伝えします。
なぜ「再建」ではなく「移住」なのか?
わたしが「再建」ではなく「移住」を選んだ理由はシンプルです。
いくら人間が知恵を絞り、強大な構造物を築いたところで
自然の脅威には無力だと悟ったからです。
わたしの故郷では、津波の周期は100年どころか
わずか「30~40年」でした。
そのたびに津波により、命が奪われてきた歴史があります。
その時代ごとにできうる限りの対策を講じてきたはずなのに、です。
震災後、知人の多くは、「高台への転居」や「盛り土(かさ上げ)」
された土地に家を再建しました。
一見すると、復興の兆しがみえ、安全を取り戻したように見えました。
しかし、わたしの胸の奥には素直に受け入れられない
「言葉にできない違和感」がありました。
- 最大級の津波がくれば、盛り土の上でも再び浸水する事実
- 長い年月の中での地盤沈下のリスク
- 「過去のデータ」に基づいた安全基準の限界
津波がとどかないはずの高台も同様です。
仕事先や学校、外出中に被災すれば危険性は変わりません。
なにより「ここは安全だ」という思い込みが、
さらなる高台へ逃げる判断を鈍らせることが一番の恐怖でした。
いつか必ず「想定外」の津波が再来します。
わたしの世代ではなくとも、いつか必ず。

最近話題になっている「南海トラフ巨大地震」も
30年以内に発生する確率が80%と、いつ発生してもおかしくありません。
わたしたちに必要なのは防災グッズではなく、自然の脅威から物理的に距離をとることです。
グッズをそろえるだけの「ぬるい防災」など必要ありません。
本当に必要なのは、沿岸部から離れること。
もちろん不都合があるでしょう。
しかし、子や孫の命より優先させるものはあるでしょうか?
ぜひ、子供の寝顔を見ながら考えてみてください。
親の決断と、二代目のわたしが選んだ「命の継承」
父が提案した内陸という名の安全地帯
わたしの父は、長年くらした沿岸の土地を離れる決断をしました。
移住先に選んだのは、わたしの姉が住んでいた内陸の町です。
そこで住宅を購入し、長男であるわたしと妻、そして子供たちを呼び寄せたのです。
わたしも長男として、悩み葛藤しました。
しかし父の想いを受け入れ、移住を受け入れました。
そして今、父が「生存戦略」として選んだこの内陸の家で、三世代ともにくらしています。
子や孫に「わたしと同じ過ち」を繰り返させないために
大好きだった故郷を捨てることに、迷いがなかったわけではありません。
しかし、わたしが移住を決めた決定的理由。
それは震災当夜、わたしが犯した「過ち」にあります。
地獄のような道。気持ちだけが先走った安否確認の記憶
震災発生時、わたしは内陸から沿岸の自宅に向けて車を走らせていました。
カーナビに映し出されたのは、濁流に飲み込まれていく見覚えのある町並み。
わたしの故郷でした。
「家族は無事か?」
通行止めの道路を迂回し、落石だらけの峠道を必死で走り抜けました。
故郷へ到着して目にしたのは、絶望的な光景。
車高の半分以上が海水に浸かった車、倒壊した建物でした。
母とは奇跡的に再会できましたが、海沿いの家に残っていた妹と祖母の安否がわかりません。
「家は流されただろう。でも高台に避難しているはずだ。」
そう母と話し、わたしは装備を整え、真っ暗な道を進み始めました。
知識が「吹き飛んだ」瞬間。生きるか死ぬかの境界線
家までの距離は、車でわずか20分程度。
しかし、そこには想像を絶する壁が立ちはだかっていました。
- 建物1階分にもなる無数のガレキの山
- 腹まで浸かる、骨まで凍みるような海水
- 日暮れとともに急降下する気温
- ライトが照らす先以外、何一つ見えない闇
人生で初めて「本当の命の危険」を感じました。
寒さで感覚を失った足を、体の反動をだけで一歩、また一歩と前へ出す。
ひたすらこの繰り返しでした。
同じ目的を持つ男性と出会い、一時は恐怖も和らぎましたが
結局、海水が引かない場所を突破できず、私たちは引き返すことになりました。
母の元にもどり、状況を報告したとき、母が放った言葉にわたしは衝撃を受けました。
「今は帰れないということだね。わかった。
それよりも、おまえを死なせてしまうところだった。」
その言葉で、ようやく目が覚めました。
あれだけ避難訓練をして、先人の教訓を聞いてきたのに。
わたしは「津波が引いても、決して戻ってはいけない」
という基本さえ、極限状態では忘れてしまっていたのです。
第2波、第3波中にわたしが居合わせなかったのが、唯一の幸運でした。
これがわたしの犯した過ちです。
座学や昔話で得た知識など、リアルな現場では「思い出すことさえ難しい」という現実。
知識という鎧は、あまりにもろいものだったのです。

家は「守るもの」ではなく家族が「守られる場所」
あの日、ガレキの山と冷たい海水に阻まれ、
家族の安否さえわからぬまま闇をさまよった経験。
その経験がわたしの「内陸移住」の決断となりました。
その土地には思い入れがあり、先祖代々の守るべき誇りがあるかもしれません。
しかし、自分の子や孫が、わたしと同じ過ちを繰り返さないと言えるでしょうか?
内陸に移住し、十数年たちました。
いまでも地震があった夜はあのときの記憶が蘇ります。
地震で家の外に避難することはあっても、津波はとどきません。
その事実だけでも内陸に移住した価値があります。
家というものは、代々受け継ぐために必死に「守るもの」
ではなく、そこに住む家族の命が「守られる場所」でなければならない。
父が下した決断と、それを受け入れたわたしの決断は
間違っていなかったと確信しています。
物理的に距離をとる。
これこそが私たちができる次世代への「命の継承」です。
移住の苦労上等!!
あなたの選択に後悔がないよう、心から応援しています。

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